ハイドンの交響曲第45番「告別」は、最終楽章で演奏者が次々とステージから去っていくという演出効果があって、
勿論、曲そのものも大変素晴らしく、
私も大好きな曲。
実は、まだ演奏体験がなく、
最終楽章にあるコントラバスソロ(とても弾きにくい!)も、勿論まだ弾いたことはありません。
最近、とってもユニークな演奏内容の演奏動画を見つけましたので、貼り付けておきます。
ところで、そもそもの疑問。
なんで、演奏者が立ち去っていくのか?
本当かどうかはわかりませんが、伝えられるエピソードは以下の内容。
Wikipedia記事から引用しました。
19世紀初めにハイドンの伝記を記したゲオルク・アウグスト・グリージンガーやアルベルト・クリストフ・ディースが伝える逸話によると、エステルハージ家の夏の離宮エステルハーザでの滞在期間が予想以上に長引いたため、大抵の楽団員がアイゼンシュタットの妻の元に帰りたがっていた。このため、ハイドンは終楽章で巧みにエステルハージ侯に楽団員の帰宅を認めるように訴えた。終楽章後半のアダージョで、演奏者は1人ずつ演奏をやめ、蝋燭の火を吹き消して交互に立ち去って行き、最後に左手に、2人の弱音器をつけたヴァイオリン奏者(ハイドン自身と、コンサートマスターのアロイス・ルイジ・トマジーニ)のみが取り残される。エステルハージ侯は、明らかにメッセージを汲み取り、初演の翌日に宮廷はアイゼンシュタットに戻された[3]。ただし、この逸話を裏付ける証拠は残されていない。
この逸話の真偽はともかく、
仮にこの逸話が事実だったとして、
このエピソードが現代社会に果たして通用するのか否か、
仮想実験をしてみます。
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関西地方にある小さなプロオーケストラ「○○オーケストラ」
メンバーは12名。
この夏に○○島にて1週間演奏する仕事をこなしていた。
ところが、予定の1週間を過ぎても、仕事の依頼主はオーケストラを関西に返そうとはせず、さらに期間を延長して演奏するように命じていた。
○○島に滞在すること2週間、「家に帰りたい」という気持ちがオーケストラメンバーに募りだし、
不満が爆発寸前の状態。
オーケストラの公演に同伴していたコントラバス奏者で作曲家(彼の名前を「ひらてぃ~」と呼ぶことにしよう)が思いついた。
「ここでストライキをしてもよくない、音楽でメッセージを依頼主に届けて解決しよう」
そこで、ひらてぃ~は曲の最後にオーケストラメンバーが次々とステージを去っていく曲を作曲、
依頼主が会場にいる際に演奏したのであった。
会場にいた観客は、そのユニークな試みに大喜び。
大きな拍手をもらうこととなった。
さて、依頼主は果たして曲に込められたメッセージを汲み取り、
オーケストラを関西地方に返してくれるのであろうか?
演奏後、オーケストラメンバーが集められ、依頼主はこう言った。
「君たちを拘束するのは今日までにして明日には関西地方に帰ってもらう」
オーケストラメンバーは喜んだのも束の間、次に依頼主から衝撃の発言が飛び出た。
「ただし、君たちは演奏途中で退場するという職務放棄をした。これは契約違反で許されることではない。従って、ペナルティーとして君たちのギャランティーの支払いを停止する。」
なんと、職務放棄という罵りを受けてしまったのだ。
そして、まさかのギャランティーの支払い拒否。
オーケストラメンバーの怒りは最高潮に。
だが、事前に交わした契約書を見ると、彼らは逆らうことが出来なかった。
そこには、こんな文言が書かれてあったのだ。
「オーケストラメンバーが決められた時間に舞台にいなかった場合、一切のギャランティーの受け取りを拒否したとみなす」
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そうそう、今の社会、そんなに甘くないのですよね。
よって、ハイドンの「告別」に込められたエピソードは古き良き時代のもの。
でも、こんなユーモア、現代社会にも欲しいと思う私はダメなのかなあ?