コントラバス奏者 ひらてぃ~のブログ

コントラバス奏者・ピアニスト・指揮者として活動している平田昭浩のBlog

室内楽の人数定義は果たして何人までなのだろうか?

極めて個人的な音楽趣向ですが、

近年の私の音楽活動に関連して、

どうしても室内楽や編成の小さなオーケストラ作品に関心が高くなっている傾向があります。

音楽はピアノやギターなどの場合を除き、

一人だけで演奏可能なことの方が極めて少ないものですから、

誰かと一緒に音楽をするということは、ごく自然のことなのだと思っています。

 

楽家の多くは室内楽をする喜びをたくさん感じているはずです。

そこでくだらないことを考えてみました。

室内楽って、人数定義はどうなんだろうか?」

 

そこの疑問はWikipedia記事で紹介。

ja.wikipedia.org

 

最低人数が2人なのは当然のこととして、どうやら9人くらいが上限のよう。

つまり、演奏人数は複数以上の一桁の人数の感じ。

 

いやいや、そんな上限なんて厳しい決まりなんて、本当はないはず。

人数が二けたの10人になったっていいじゃないですか。

英語では”Dectet”(デクテット)と呼ぶのだとか。

でも、ここが上限でしょうかねえ。

 

では、十重奏なるもの、どんな作品があるのか?

ここは私のお気に入りの作曲家、ジャン・フランセの作品の十重奏を薦めたいです。

演奏動画を貼り付けておきます。

youtu.be

 

つまり、弦楽五重奏と木管五重奏を一緒にした編成の音楽。

フランスの作曲家らしく、軽妙洒脱で楽しい音楽です。

演奏時間も手ごろですし、どこかで演奏出来ないかなあ?

文化祭でした

私が非常勤講師として勤務している学校、本日が文化祭。

私の職務は昨年に引き続き、クラブの演奏に指揮者として出演というもの。

 

前日までの練習がなかなかうまくこなせたのですが、

本番とは練習通りにはいかないものです。

演奏後、「間違えてしまった」とか、「緊張してしまった」とか、いろいろと部員たちは感想を言っていましたが、

当初の目標でした「お客さんに楽しんでもらう」というものはクリアしたと思っています。

 

昨年の今頃から思えば、部員たちも私も成長したものです。

演奏後、特にPTA関係者や教員からもお褒めのお言葉を頂きまして、

クラブのOBも来場して下さり、

演奏を終えた私の心の中では「クラブ活動として極めて健全な演奏が出来た」という教育的な手応えと、

「考えていた音楽的な狙いは表現できた」という思いが出ましたね。

 

ただ、演奏内容そのものを満足しているというものではありません。

まだまだ出来ることはあるはず。

更に技術力を身につけて、音楽的な素養も上げていきたいものなのです。

終わりなき道程ですが、部活動を通しての音楽教育として、音楽をする楽しみを忘れないで目標に向かって努力をしていきたいものです。

そして、クラブという集団で学ぶ人間教育も大切にしたいものでもあります。

 

さて、私は少々疲れてしまいました。

明日はゆっくりと休みたいところなのですけれども、

楽家としての職務、コントラバスのレッスンが入っています。

なかなか、休ませてくれません。

今週は帰宅時間が遅いです

今週の私、朝の起床時間は5時30分、そして帰宅時間は21時くらい。

なんでそうなるのか?

非常勤講師としての学校勤務の他、クラブ指導も職務としてあるためです。

そして、明日が文化祭ステージ。

 

昨年はクラブに関わって2ヶ月くらいしか時間がなかった状態でしたが、

今年度はすでに昨年1年間の指導キャリアがあるため、

指揮者としての私には確かな手応えを感じています。

 

明日の本番を控えての今の心境、素直に楽しみなもの。

まだ本番を終えていない段階で断言しますが、

部員たちは確実に成長をしてくれています。

 

さすがに、明日は帰宅時間はもう少し早いはず。

今週は自宅でビールを飲んでいないので、

明日は美味しいビールが飲めるかなあ?

明日は素敵な演奏が出来ますように。

カプースチンとコントラバス

ここのところ、にわかに注目を浴びている作曲家といえば、

ニコライ・カプースチンのことでしょう。

ja.wikipedia.org

 

2年前に亡くなられた方ですが、

クラシックとジャズが融合した作風のため、特にピアノ曲が盛んに取り上げられているような気がしています。

そのこともあり人気が高まってきているのでしょうが、

カプースチンウクライナ出身ということもあって、ここのところの注目というのは、なんとも皮肉なことではあります。

 

実は、彼の作品の中に、コントラバス協奏曲があります。

作曲した時期は1996年。

楽譜の入手ですが、ピアノ伴奏版なら入手は容易だそうです。

 

じゃあ、私はその作品を演奏するのかって?

う~ん、ないと思いますねえ。

オーケストラと共演する可能性はまずないでしょうし、

そもそも、オーケストラと演奏する場合の楽譜の問題が大きいですし、

コストもかかる話。

ピアノ伴奏では演奏はすぐに出来るのでしょうが、

今の私には、あまり興味が沸かないことです。

 

じゃあ、今の私なら、どんな作品が演奏したくなるのかなあ?

2008年に日本初演された「11人の奏者による協奏曲」は楽譜が出版されていますから、

これは演奏したくなりますねえ。

www.hmv.co.jp

 

他にも、アルト・サックス、ヴィオラコントラバス、ピアノという編成で

組曲」と「”スウィート・ジョージア”の主題による変奏曲」というのがあるそうです。

「”スウィート・ジョージア”の主題による変奏曲」の演奏動画が見つかりましたので、

参考までに貼り付けておきます。

youtu.be

 

そして、今の私が一番弾きたい作品なのが「六重奏曲」というもの。

フルート、オーボエヴィオラコントラバス、ピアノにドラムスという編成。

日本初演の際の演奏動画が公開されていましたので、それを貼り付けておきます。

youtu.be

 

さあ、あとはどうやって楽譜入手するかです。

大きな問題だ!

今日の枚方の最高気温

我が地元、大阪府枚方市、本日の最高気温は昨日と同じ30.1℃。

昨日は最高気温ランキング10位以内にいたのに、

今日は残念ながら11位タイ。

しかも、あと0.1℃高かったら9位タイに入っていたのに!

なんか、惜しいなあ。

 

とはいえ、連日の暑さにより、我が家の中はなんとなく蒸し暑い空気が溜まっています。

寝る時にエアコンを付けるべきか否か?

今日の枚方の最高気温

今日は暑くなりました。

近畿地方で30℃以上の真夏日になった観測地点が3か所。

これが、いずれも最高気温ランキングで10位以内に入ったというのです。

そりゃ、暑いはずです。

 

我が地元、大阪府枚方市の本日の最高気温、30.1℃。

全国第8位タイの記録でした。

ちなみに、6位タイが京都府京田辺市で30.2℃。

4位が京都市の30.4℃。

 

明日も暑くなるのでしょうかねえ?

それに、そろそろ近畿地方も梅雨入りが近いような?

ストラヴィンスキーの「春の祭典」は、どうして生徒たちに受け入れられるのか?

昨年に引き続き、今年も私が非常勤講師として勤務している学校の音楽の授業で、

ストラヴィンスキーの「春の祭典」を音楽鑑賞教材として取り上げています。

今年度は対象学年は中学2年生と高校2年生。

今日で中学2年生の授業での取り扱いが終了。

ちなみに、昨年のBlogに、以下の記事を書いています。

参考までにご覧ください。

hiratea.hatenablog.com

 

不思議なことですが、今年の生徒たちも、この曲はなかなか好印象。

気に入っている様子です。

 

それにしても、こんな現代音楽の作品を、こんなにも気に入るのでしょうか?

理由を探りました。

 

理由①:バレエ音楽として斬新だから

バレエ音楽の代表格であるチャイコフスキーとは、まるで真逆なバレエ音楽

 第1部2曲目「春の兆し~乙女たちの踊り」のシーンが強烈なバレエシーンとして生徒たちの記憶に残るのでしょうか。

 

理由②:リズムが特徴的だから

変拍子が随所に出現しますが、特に第2部3曲目「選ばれし生贄への賛美」では、8分の5拍子、8分の7拍子、8分の9拍子などが出現。

 これを体感するためのリズム学習を導入してみたのですが、これが面白いと感じた様子。

 ただ、本当は終曲の「生贄の踊り~選ばれし生贄の乙女」の変拍子リズムを取り扱いたいのですが、さすがに複雑すぎて、子どもたちには難しいと思い、今回も断念。

 

理由③:「春の祭典」が後世の音楽家たちに影響を与えたから

伊福部昭の映画音楽「ゴジラ」、ジョン・ウィリアムズの映画音楽「ジョーズ」など、言われれば「似ているなあ」と思わせ、そことの繋がりが子どもたちには興味深く思えたことが印象を良くしていると思われます。

 

理由④:初演エピソードがスキャンダラスだったから

→初演は大騒動となり、警察まで動員され、逮捕者も出たほど。

 サン=サーンスは冒頭のファゴットのフレーズを聞いたのちに会場を去っていることが驚きのことだったようで、

 そのような風景も斬新に感じたからなのか。

 

いずれにしても、私が考える学習目的は軽く到達してくれた様子。

やはり、私はこの作品を音楽鑑賞教材として今後も重宝することは間違いなさそうです。

ちなみに、高校2年生の授業は明後日です。

どんな反応になるのかなあ?

楽器の日

本日、6月6日は「楽器の日」だとのことです。

どうしてそうなったのか、手抜きですが、こちらのサイトをご覧ください。

www.komajo.ac.jp

 

稽古始めは6歳の6月6日がいいのかあ。

私自身、さすがに6月6日に楽器を習い始めたなんてことはありませんでしたし、

6歳の頃に楽器は習っていなかったかなあ?

ただ、6歳の頃ならば、保育園でシロフォンを叩くことがあったのですが、先生に

「上手ねえ」って言ってもらったことは、なぜか今でも覚えています。

 

さて、稽古始めは6歳の6月6日、そんな都合よく当てはめることは出来ないでしょうねえ。

ピアノやヴァイオリンを始める年齢なんて、3歳や4歳なんて多いですしねえ。

ちなみに、私がピアノを始めた年齢は7歳、平均的な年齢よりはやや遅めの年齢。

コントラバスなんて、6歳で始めるなんて不可能!

 

何はともあれ、これを契機に「なんか楽器でも始めようかなあ」なんて思って、実行に移されてくださる方がいらっしゃったら、嬉しいなあ。

これを機会にコントラバスを始めたいのなら、どうぞ私の教室にお越しください!

Frei aber einsam

本日のBlogのタイトル、「なんのこっちゃ?」と思われるかもしれませんね。

 

19世紀のヴァイオリニスト、ヨーゼフ・ヨアヒムが好んで使用していたモットーが

Frei aber einsam

これ、ドイツ語でして、意味は

「自由だが孤独に」というもの。

 

普段の私の生活、このモットーに当てはまることが実に多いのです。

楽家としての準備や練習は、本番前のオーケストラや室内楽、ピアノとの練習に至るまでの段階では、まさに自宅で練習や準備をしていますから、

自由であり、孤独なもの。

音楽教員としての私、実は現在非常勤講師として勤務している学校の音楽教員は私だけなので、

授業内容の作成から授業実施まで、そしてありとあらゆる雑用の処理も、まさに自由で孤独な作業。

 

昨年4月からはこんな生活が続いていますので、

現状の私の ”Frei aber einsam” は、個人的には気に入っている状況。

どうも、私はこのモットーを好意的に受け入れているように思われます。

 

ところで、このモットーが由来の曲があります。

それがF.A.E.ソナタというもの。

曲の詳細な解説はWikipedia記事で済ませます。

ja.wikipedia.org

 

この曲の作曲者は3人いまして、

現在では、ブラームスが作曲した第3楽章のスケルツォが有名。

どんな曲かって?これも演奏動画を貼り付けておきましょう。

youtu.be

 

この楽章だけだと演奏時間は5分くらい。

ヴァイオリンリサイタルのアンコールとして取り上げられることが多いのかなあ?

最近、ふと、この曲が聞きたくなったので、ここに書いてみたという次第。

滝廉太郎の「花」は総合学習教材になるのでは?

私が非常勤講師として勤務している学校、

昨年の中学3年生で、滝廉太郎の「花」を取り扱いました。

今年も中学3年生で授業を実施。

 

でも、昨年と同様に歌唱はなしとしたのでした。

歌わないのは、生徒たちにとってもストレスが溜まるかもしれませんが、

コロナ禍の状況、こればかりは我慢をしてもらわないといけません。

 

ところで、音楽の授業だから、音楽を教えたらいい、

そんな短絡的なことを私はしません。

あらゆる科目の学習に繋がるものとして取り扱いたいのです。

 

歌詞を分析することにより、国語的な学習につながります。

参考にした文学作品が源氏物語枕草子とか、漢文だったりしますからねえ。

勿論、歌詞そのものの学習も、国語的な勉強。

 

いやいや、作曲された当時の歴史的背景や音楽事情も知ることになりますから、

歴史の学習にもつながります。

明治時代の文明開化の状況を音楽を通して知る、これもいい学習になるはずです。

 

今回は滝廉太郎が作曲したピアノ作品にもスポットを当てました。

日本におけるピアノの歴史の始まりを知ることも、音楽的な教養を深めることになります。

 

なので、滝廉太郎の学習は、絶対に有意義なのです。

音楽の授業というカテゴリーではなく、もう総合学習教材に発展することも出来るかもしれません。

こうなると、また次年度に向けて、更なる教材研究をしてみたくなるものです。

そうそう、毎年同じということはないのが私。

ちょっとずつですけれども、教材を進化させて、教授法も磨きをかけていきたいものです。

ブルッフの「8つの小品」

2014年3月、私はある室内楽の演奏会を開いていました。

編成はクラリネットコントラバス、ピアノ。

この編成でのオリジナル作品はボッテジーニのクラリネットコントラバスのためのグラン・デュオですが、

この作品を演奏会冒頭に弾いて、いろんな組み合わせのデュオを弾いて、

プログラム後半にブルッフの「8つの小品」を弾きました。

 

この「8つの小品」の本来の編成はクラリネットヴィオラ、ピアノ。

ただ、ヴィオラはチェロでも演奏できるように書かれてあったので、

そこをヒントにコントラバスに置き換えたということ。

今から思えば、無謀にも程があることをしてしまったものでして、

後から録音を聞くと、まあいっぱいやらかしていまして、

そして「やっぱり、コントラバスでの演奏は無茶やなあ」と思って、今では封印しています。

 

ただ、当日のお客様からの反応は、大変有難いものばかりでした。

お客様からのお声で、特に気になったものがありました。

「映画のワンシーンを見ているような気がした」

 

「感動した」みたいな感想を聞くだけでも嬉しいのですけれども、

具体的な印象までいただくと、演奏者冥利に尽きますね。

では、この作品が映画になる要素があるのでしょうか?

あるのかどうか、参考までに下記の演奏動画から全曲をお聞きください。

(ただし、40分程度の時間が必要です)

youtu.be

 

実は、ブルッフ自身は、この作品を全曲演奏することを全く想定していませんでした。

作品全体には有機的関連は見当たらないのですが、

私には不思議と何らかのストーリーを感じさせてくれます。

そして、なせかわかりませんが、私は時折聞いていると涙腺が緩んでしまいます。

涙腺が緩むポイントがいくつかありまして、

第3曲の中間部からその兆候が。

第4曲は終曲性があるので、一旦は収まるのですが、

第5曲や第6曲ぐらいになると、涙を流れまいと堪えている自分自身があって、

第7曲が軽快なので、気分は晴れやかになるのですけれども、

第8曲となると、もうノックアウト。ハンカチが必要となります。

 

ということで、私はこの曲を演奏することが出来ません⁉

でも、全曲を生の演奏で聞いて、私なりの映画のシーンを思い浮かべてみたいものです。

おっと、ハンカチが必要だ!

コントルダンス

ちょっとした調べごとで出てきた曲名に

「コントルダンス」というものが出現。

用語の説明はWikipedia記事で紹介。

ja.wikipedia.org

 

ベートーヴェンはコントルダンスの曲を書いています。

正確には「12のコントルダンス」というもの。

これの曲目解説は、以下の記事で紹介。

ontomo-mag.com

 

弦楽器にヴィオラが省かれて、管楽器も曲によって編成が変わるので、

なかなか実演に恵まれない曲なのですけれども、

2020年のウィーンフィルニューイヤーコンサートでは抜粋で演奏されたとのこと。

コロナ禍の状況でなければ、きっと2020年には演奏される機会があったのでは?

 

でも、実際に演奏されているケースはあるはず。

YouTubeに全曲演奏のものが出ているのかなあと検索してみたら、見つかりました。

youtu.be

 

偶然でしたが、オーケストラはKyiv Symphony Orchestra

日本語訳すれば「キーウ交響楽団」でした。

なんだか考えさせられます。

G線上のアリア

昨日、フィギュアスケートのニュースで話題になった曲、

いわゆる「G線上のアリア

まさかクラシック音楽の曲名がTwitterのトレンドにも上がったなんてことは極めて珍しいことなので、

今日はとことん「G線上のアリア」を語ります!

 

まず、作曲者はヨハン・セバスティアン・バッハ

ところが、バッハは「G線上のアリア」なる曲は書いていません。

バッハが作曲したのは管弦楽組曲第3番。

その中の第2曲「Air(エール)」は弦楽合奏のみで演奏されるもので、

この第2曲をドイツのヴァイオリニストのアウグスト・ウィルへルミがヴァイオリン独奏+ピアノに編曲したものに付けられた通称が「G線上のアリア」ということ。

原曲の調性がニ長調なのに対して、「G線上のアリア」はハ長調

そして、ヴァイオリン独奏は一番低い弦であるG線だけで演奏しなければならないという決まりがありまして、

他の弦は使用不可なのです。(譜例を参照)

G線上のアリア パート譜_481×160

 

譜例にあるsul G は「G線で弾くこと」との指示。

ちなみに、私がこの曲をコントラバス独奏で演奏の際、

昔はソロチューニングを使用しての演奏が多かったので、

コントラバスの第1弦であるG線はA線と長2度高く調弦されることに。

従って「A線上のアリア」となっていましたが、

現在では普通のオーケストラチューニングを採用しての演奏がほとんどなので、

通称通りに「G線上のアリア」になります。

 

ところで、いろいろと気になることがあります。

まずは曲名の発音。

まずもって「じーせんじょうのありあ」と発音するものと思われますが、

たまに「げーせんじょうのありあ」と聞かれることも。

Gをドイツ語読みすると「げー」となりますからねえ。

まあ、作曲者がドイツ人ですから、そこを採用したい意図が見え隠れしていますが、

これは一般的には普及しない発音となるでしょう。

 

 

さて、話を原曲(管弦楽組曲第3番)の方に移ります。

原曲の演奏、勿論、これまでにもたくさん経験してきました。

ただ、過去に演奏してきた回数のかなりの割合で、コントラバスパートはスラーのパッセージを除いて、Pizzicato奏法で弾くことが多かったのです。

バッハの指示がなにもないにも関わらず。(譜例を参照)

 

「なんでそう弾くんだろう?」

何度も疑問に思ったのですけれども、

「いや、こう弾くものと決まっている」

「断然、Pizzicatoの方がいい」という圧倒的な意見の前に、

小心者の私は逆らうことなく、慣習通りに弾いていました。

 

でも、いろんな演奏がありまして、

きちんと弓で全部弾いているケース、

繰り返しによって弓とPizzicatoを使い分けるケース、

弓で弾く人とPizzicatoで弾く人を混ぜるケース、

なんかを私は見たことがあります。

 

常々思いますが、「こうあらねばならない」みたいなものがあまりにも強すぎることを、私は最近嫌う傾向があります。

いろんな可能性があってもいいかもしれないなあと。

最近の私、演奏上も保守的なスタイルはなくなってきたかなあと思っています。

いろいろと実験をしてみてもいいじゃないですかねえ。

 

そこで、こんな演奏動画を見つけましたので、貼り付けておきます。

youtu.be

 

繰り返しは前半も後半も行い、

その際に第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンの楽譜も入れ替えるというもの。

コントラバスも弓とPizzicatoを繰り返しの度に入れ替えるというもの。

こんな演奏もあっていいと思います。

次に演奏する機会があって、練習で発言できるポジションにあったら、

勇気を持って提案をしてみようかな?

ベートーヴェンのヴァイオリンソナタ第2番

昔、よく読んでいた本のひとつに、

『音楽家訪問~ベートーヴェンのヴァイオリンソナタ~』(アラン 著/杉本秀太朗 訳 岩波文庫 1980年)

がありました。

www.iwanami.co.jp

 

今の私には、音楽を職業としていることから、読んでいて楽しいのですが、

そうでなければ、読了するには気合が必要なほど、少々難解な言い回しが多いのも事実。

ただ、これを読んで、今でもちょっとした発見が見られて嬉しくなることも。

 

ヴァイオリンが弾けない私ですが、

ピアニストとしてベートーヴェンのヴァイオリンソナタを2曲だけですが弾いた経験があります。

第5番の春、そして第7番のハ短調

凄くいい勉強になりましたし、また他の番号の作品も弾いてみたいなあと思うことも。

 

そして、最近はあまり取り上げられない作品に目を向けがちな私。

今の私のアンテナに引っかかったのが、第2番イ長調Op.12-2 です。

youtu.be

 

この曲を聴いていると、私はなんだか気持ちが晴れやかになって、とてもスッキリします。

ということで、弾く用事はまずないのに、自宅でピアノパートを弾いて遊んでいることもしばしば。

コントラバスで弾く?

いやいや、それは絶対にしませんよ。

OKINAWA ジャーニー・オブ・ソウル

昨日、NHKスペシャルを見ました。

番組概要は以下のサイトでご覧ください。

www.nhk.jp

 

普段耳にする沖縄サウンド、その背景を知ることをしてこなかった私。

いや、普段の音楽活動において、沖縄が占める割合はほぼ皆無なのですから、

これは仕方がないのですが、

この番組を視聴して、歴史的な背景、経済的苦境、などなどを知ることが出来たことは、大きな収穫でした。

出演したアーティストたちが、オブラートに包まず、本音で語ってくれた内容は、なかなか刺激的なものだったのです。

 

昔、沖縄に住もうかなあと思ったことがありました。

以前勤務していた学校で沖縄音楽を授業で取り扱ったことがあったこと、

修学旅行の引率で沖縄に感動したこと、

恩納村三線の体験学習に参加して、楽しく弾いた記憶があり、

プライベートでも一人旅をしたこともあり、

そんな経験から、移住してみようかなあと思ったことがしばしば。

まずは勉強のため、沖縄県立芸術大学の大学院にでも進学して、

それからいろいろと仕事をしてみるかなんて、

無謀な計画を立てていたくらい。

結局、今住んでいる地域での仕事を止める覚悟がなかったので

(実際、止める理由もなかったので)

現在に至るということ。

 

さて、番組を見たら、また「沖縄に住みたい」と思ったのかどうか?

「沖縄に行きたい」という旅行願望は消えませんが、

「沖縄に住みたい」という気持ちは出ませんでした。

相当の覚悟と強い気持ちがない限り、

番組で見られたいろんな背景を知ると、

中途半端な気持ちで住んで仕事をするというものではないなあと、

クラシック音楽家としての視点から、そんな結論に至りました。

 

でも、沖縄の興味、関心はますます深まりました。

最後に沖縄を旅したのは2000年と20年以上も前のこと。

また行ってみたいなあ。